“ミィ” 泰のビジネスを学ぶ BNK48大久保美織の挑戦

今週の疑問

裾野産業って知っていますか?

長谷場:先週はタイの家電普及率のお話をしました。

ミィ:はい、自分でも調べたのでとても勉強になりました。ありがとうございます。

長谷場:良かったです。ミィさんは理解が早いので教えていて楽しいです。それでは第2の業界でもある電気・電子分野について、詳しく学んで行きましょう。

ミィ:はい、よろしくお願いいたします。

長谷場:電気・電子分野は1960年代初めに、それまでは輸入していた家電をタイ国内で組み立てることからスタートしました。しかし、タイ政府は自動車と同様に少しずつ国産化を促していく産業政策を行います。78年にタイ政府は国産化促進のために関税率を10〜20%引き上げました。さらにこの時にタイ政府はモジュール化した部品の関税率を高めに、個別の部品を低めに設定しました。

要するに、小さい部品でもいいから、タイでできるだけ部品を作って欲しい、ということです。また、輸入部品の関税を高くして国内品を守っただけでなく、タイで部品を製造する企業には法人税の免税などのメリットを与えたのです。

ミィ:すその?

長谷場:はい、裾野産業。一つの製品であってもそこには何百、何千という部品が使われています。山の頂上に家電量販店で販売されている最終製品があるとしたら、その製品の部品を作っている企業が山の「裾野」に該当するからです。タイ政府は早くからこの裾野産業の大切さを認識していたようです。

ミィ:なるほど。山頂にテレビを作っている会社があって、その下の方(裾野)に液晶から電源コードに至るまで、たくさんの部品を作る会社があるということですね。

長谷場:そういうことです。タイ政府が部品産業を大切にしたことが、タイに非常に多くの中小企業が集積した理由だと思います。

さらに(詳しくは次回、説明しますが)1985年にプラザ合意という約束がアメリカでなされました。これ以降、円高ドル安が急速に進みました。こうなると日本で作っていたのではアメリカでの競争力を失ってしまいます。そこで多くの日本メーカーがコスト削減のために人件費の安い海外に進出することになりました。その時、外国企業を誘致しようと頑張っていたタイには特に企業が進出してきました。

ミィ:うーん。何が起こったのか、いまいち分かりません、もう少し詳しく教えてください。

—次週に続く

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