相撲の面白さをタイ全土へ
泰国相撲連盟・会長


1978年にタイへ移住後、「タイ東京堂書店」をオープンした倉沢さん。
そして次に立ち上げたのが「泰国相撲連盟」でした。
日本の伝統文化・相撲が、タイで実を結ぶまでの歩みを振り返ります。

 

ガシッと鈍い音が鳴る体と体のぶつかり合い。バチンと目が覚めるような張り手。倉沢さんが会長を務める「泰国相撲連盟」の稽古場は、回しを巻いた選手たちの熱気が充満。壁には角界を代表する力士の手形やサイン、決まり手の絵図などが貼られ、まるで日本にいるかのよう。

現在、所属選手は小中学生を中心とした約20人と、3人のコーチ。練習は、バンコク郊外に住む選手も集まれるよう土曜に行われますが、取材日は大会前ということもあり、昼と夜の二部練習。時には連れ立ってタイスキやちゃんこ鍋を食べに行くと言い、関係の深さが窺えます。

倉沢さんが相撲を始めたのは、小学生の頃。誰に教わるでもなく、友人と集まっては相撲をして遊んでいたのだそう。「当時の日本では、相撲が暮らしの中に息づいていたんですよね。力だけではなく、多様な技を自分のものにして、相手にかけた時の快感。そして駆け引きの面白さが相撲の何よりの魅力だと感じます」。

中学、高校と部活動として本格的に相撲に取り組み、厳しい稽古を乗り越えながら相撲文化を全身で吸収してきた倉沢さん。その後は相撲から離れた生活を送っていた倉沢さんが、再び相撲と出会うのは1993年。「相撲をオリンピック種目に!」と国際化の声が日本で上がり、学生時代の相撲仲間から「タイで相撲を教えないか?」と打診されます。その言葉を受け、忘れかけていた相撲への情熱を思い出したという倉沢さんは、タイの地で、相撲普及を決意したのです。

これからは講習会も開催。
“SUMO”で世界は1つになる

善は急げと、自らの足で学校などを回りながら相撲の魅力を発信していきます。当時は稽古場がなく、柔道場や校庭、スポーツクラブなどを借りて活動を続けてきたのだそう。「日本だと、初心者は延々と四股(しこ)ばかりやらされるんですが、タイでそれをやったらみんなすぐに辞めちゃう。楽しさと厳しさを織り交ぜ、忍耐力が身につくよう意識してきました。選手たちは集中力と緊張感を持てるようになったし、整理整頓など稽古以外の礼儀の面でも成長を感じます」と倉沢さん。

連盟を立ち上げて5年ほど経った頃、現在コーチを務めるチャクラポンさん夫妻が入会。真面目な性格でみるみる上達し、2002年の第7回アジア選手権では軽量級で揃って優勝。2006年に、室内土俵を設けた現在の稽古場が完成。他の選手たちも世界選手権などでメダルを獲得するなど、成果が目に見えるように。

昨年には、横綱・白鵬が主催する「白鵬杯」に招待され、選手たちは世界中から集まった1500人の力士に圧倒されながらも、聖地・両国国技館を全身で体感。こうした活動実績が、タイ政府体育局による補助対象スポーツの認可へと繋がります。「20年以上前から補助申請をしていたのですが、競技人口の少なさや知名度の低さなどを理由に断られていました。これまでの想いがやっと通じましたね」と倉沢さんは小さく笑います。

今後は、選手の育成だけでなく指導者の育成にも尽力すると言い、3月にはタイ全土から約15校の教師と生徒を対象にした初めての講習会を実施します。「昭和の大横綱から平成の大横綱に繋がる相撲の糸を絶やさず、その和を広げていきたい。そのためにも指導者の育成にも力を注いでいきます」。チャクラポンさんという頼もしい後継者とともに、相撲文化の“実”は、色濃く熟していきます。

プラカノンにある稽古場にて、選手たちは技を磨き合う


PROFILE
倉沢 澄夫 Sumio Kurasawa
1942年、静岡生まれ。銀行勤務の後、78年にタイへ移住。86年に「タイ東京堂書店」設立。93年、タイで相撲連盟を立ち上げ、普及活動を開始。2009年から、泰国相撲連盟会長、アジア相撲連盟副会長を務める。日本相撲連盟7段。趣味は相撲。

 


泰国相撲連盟

国籍問わず! 無料入会◎10歳以上の男女を募集中

通常練習は毎週土曜11:00〜14:00、プラカノンの稽古場にて実施。大学生や社会人も参加可能(夜の稽古もあり)。詳細は下記までお問い合わせください。
[問い合わせ]
Tel: 02-381-0849
E-Mail: shintokyo@csloxinfo.com


編集部より
現在は足に故障を抱え、相撲をとることはなくなったという倉沢さんですが、選手たちの稽古を見つめるその目は鋭く、土俵の外にいても心は現役だと感じました。また稽古場にお邪魔させてください


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