“ミィ” 泰のビジネスを学ぶ BNK48大久保美織の挑戦【第62回】

長谷場:タイで政府機関を訪問したりタイ政府と会議をするとビックリするぐらい流暢な日本語を話すタイ人が出席していることがあります。WiSE読者の方の中にもそういった方に会われた人がいるかもしれませんね。

ミィ:BNK48にも日本語が上手なメンバーがいますよ。

長谷場:以前(本連載の第15回と16回)、タイが1970年ごろは反日だったというお話をしました。その際にも触れましたが、74年1月に当時の田中角栄首相が来タイしています。実はその訪タイをきっかけに、「人の交流を促進して相互理解を深めたい」という田中角栄首相の肝いり事業として、タイ政府が派遣する国費留学生を日本政府として受け入れることにしました。

ミィ:親日への取り組みですね。

長谷場:70年代のタイです。今とは比べられないほど貧しかった時代です。そんな時代に“タイ政府が費用を負担して”選りすぐりの中学卒業生を日本に毎年派遣するようになりました。

ミィ:国の期待を背負った子供ですね。

長谷場:派遣された15歳の少年少女は日本語の勉強をした後、東京学芸大学付属高等高校(後に、お茶の水女子大付属高等高校も受け入れ)に入学します。卒業後は東京大学や京都大学などの国立大学で学び、人によってはさらに修士課程や博士課程に進んでタイに帰国しています。国と国との約束なので国立の学校で受け入れたんですね。

ミィ:レベル高っ!!

長谷場:こうして日本に留学したタイ人はタイの中でも超優秀な人達でして、東京学芸大学付属高等高校が最初にタイ人留学生を受け入れたのが75年。それから40年以上が過ぎた現在、タイ政府の重要なポストに就いている元留学生がたくさん出てきています。親日だけではなく本当の意味で“知日派”である彼らの存在が日タイの友好に果たした役割は計り知れません。

ミィ:でも、そんなに優秀な方々なら民間企業に行けばすごくいい給料をもらえるんじゃないのですか?

長谷場:そうなんです。でも、そこはタイ政府もよく考えていていました。貴重なタイの国家予算で派遣された学生なので国のために働いてもらいたい。そこで、なんと「帰国してから海外で勉強した期間の2倍を公務員として働かなければならない。もし、公務員をやめた場合、派遣にかかった費用の3倍をタイ政府に支払わなければならない」という約束をしているんです。実は、費用の方は当初は2倍だったのですが途中から3倍になりました。2倍だと払ってしまう会社もあったのかもしれません。

ミィ:15歳で日本に行って、大学院博士課程まで出ると3(高校)+4(大学)+2(修士)+3(博士)で12年。その倍ということは24年。博士課程卒業はストレートで25歳だから49歳まで公務員決定!?

長谷場:実際には日本に来てから1年半ぐらい日本語を勉強してから高校に入るので、博士卒業が26歳としても13.5年の倍だから27年。53歳まで公務員ということですね。

ミィ:人作りをして、成果に結びつくまでには長い時間がかかるんですね。

長谷場:こういった努力を重ねて来られてきた関係者の方々には本当に頭が下がります。ちなみにこの制度、応募者が減ってしまったこともあり数年前に新規の派遣を終了してしまいました。

ミィ:日本の文部科学省の奨学金で日本に留学したタイ人もたくさんいますね。

長谷場:その方々はビジネスや通訳などの世界で活躍されていることが多いです。タイ政府の奨学金と違って公務員にならないといけないという縛りが無いので。

ミィ:人生いろいろですねー。

長谷場:長年、日タイ双方が人作りをしてきて、両国の関係が着実に深化していったということですね。

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