タイの医療水準や設備レベルは高く、最先端の医療技術を受けることができます。

このお話は、バンコクで暮らす日本人家族が経験したサミティベート病院(スクンビット院・シーナカリン院)での入院から手術、回復までを記した医療体験記です。

家族紹介

タイ在住8年目。身体を動かすことが趣味の夫、市場散策好きの妻、お絵描きが大好きな7歳の娘の3人家族。
朝から夜まで海で過ごすほど、家族全員海が大好き。

ただの腹痛だと思っていたら…
タイの医療に救われた!7歳娘の入院体験記
第6話 PICUでの入院生活

鎮静から9日ぶりに目を覚ました娘が最初に発した言葉は「お腹が空いた」でした。
その言葉を聞いて私たちも医師たちもとても安心したのを覚えています。

中には親のことがすぐにわからない子もいるそうですが、娘はすぐに私たちのことを認識してくれました。
久々に聞く娘の声は人工呼吸器の影響でかすれてはいましたが、「お父さん」「お母さん」と呼んでもらえる喜びを感じました。

10日近く強い鎮静剤を使っていた離脱症状で娘は、蛇や小人などの幻覚を見たり、身体中が震えたり、感情のコントロールができなくなったりしました。
また、痛み止めも使い続けていたため効きにくくなり、痛さに苦しむ時間も増えました。

なにより娘にとって一番辛かったのは、腎臓の機能が戻っていなかったため、水分量を制限されたことでした。
喉が乾いて水を飲みたくなっても1回に5〜10ccしか飲ませてもらえず、常に喉が乾いた状態でした。

24時間の透析は1日4時間に減っていましたが、首から透析を行っていたため透析中は動けませんでした。
少し動いたり泣いたりするだけでアラーム音が鳴ってしまうので、毎日とても長く感じる4時間でした。

また、日中は私たち夫婦が病室に付き添うことが許可されていましたが、夜間はそれができず、たったひとりで夜を過ごさなければならず、とても寂しかったようです。

ただお腹が痛いだけだったのに、目覚めたら寝たきりの状態で、全身あちこちが痛くて自由に動かない身体、医師や看護師に言いたいことが全部伝わらないもどかしさ、家族以外の誰にも会えない寂しさなど、辛さや我慢の多い入院生活に娘は少し情緒が不安定になってしまいました。

娘にとっては鎮静から目覚めてからの期間が最も辛く苦しい時間だったと思います。

入院前は笑顔がトレードマークだった娘の顔から笑顔が消え、口を開けば「痛い」「帰りたい」「友だちと遊びたい」と繰り返しました。

そのような娘の様子を見て、PICUの看護師さんたちが通訳の方に頼んで娘が病室内で使う言葉をタイ語と日本語の表にして壁に貼り、それを使って一生懸命コミュニケーションをとってくれました。

また、どれだけ娘が怒っていてもいつも明るく笑顔で接してくれたました。
そのおかげで、徐々に娘は笑顔を取り戻し、看護師さんたちと仲良くおしゃべりするようになっていきました。

中には休みの日に娘のお見舞いに来てくれる看護師さんもいて、その方たちのおかげで娘は心の傷も癒してもらいました。
親だけではカバーできなかった部分を看護師さんたちがカバーしてくれ、感謝の気持ちでいっぱいです。

そのような日々を過ごすうちに、心臓も腎臓も徐々に回復し、座ったり足を曲げたりするリハビリも少しずつ始まりました。
そして、透析をしなくてよくなり、心臓の点滴による投薬も終了し、左足の切開部分の傷が完全に閉じて、ついに25日間にわたるPICUでの生活が終了しました。

 

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