タイの医療水準や設備レベルは高く、最先端の医療技術を受けることができます。

このお話は、バンコクで暮らす日本人家族が経験したサミティベート病院(スクンビット院・シーナカリン院)での入院から手術、回復までを記した医療体験記です。

家族紹介

タイ在住8年目。身体を動かすことが趣味の夫、市場散策好きの妻、お絵描きが大好きな7歳の娘の3人家族。
朝から夜まで海で過ごすほど、家族全員海が大好き。

ただの腹痛だと思っていたら…
タイの医療に救われた!7歳娘の入院体験記
第9話 子どもにとっての入院 ~小さなSOSを見逃さない~

娘の入院を通して、ありきたりな言葉になってしまいますが、当たり前の毎日を過ごせることがどれだけ尊いものかを痛感しました。

それまで大きな病気をしたことがなく、元気を絵に描いたような娘が突然倒れ、命の綱渡りをする日々がくるとは、想像もしていませんでした。

娘が急変してからの1カ月、命の儚さを知りました。
しかし、それと同時に命の強さと奇跡も知りました。

娘の命を救うために、本当に多くの医師や医療スタッフがあらゆる策を講じながら24時間体制で力を尽くしてくれました。
そして娘もそれに応えました。

娘にとっての入院生活は、病気との闘いもありましたが、それよりも精神的に乗り越えなければならないことが多かったと思います。

鎮静から目覚めてからのことを、「起きたら何もできなくなっていた」「座るだけでふらふらした」「3秒間立つのが精一杯だった」とふりかえり「もう何もできなくなると思った」と語っています。

ただお腹が痛いだけだったのに目覚めたら身体中に管が繋がれ、できていたことができなくなっていて、友達とも遊べない入院生活に、正直、何度も挫けそうになったと思います。

そんな娘を救ってくれたのは、毎日接する医師や看護師の優しさと、会えなくても娘の無事を祈ってくれる人々の想いでした。

友達や親戚、学校のみんなが送ってくれたメッセージカードや寄せ書き、ビデオレターに何度も目を通し、「みんなが私のために頑張ったり泣いたり祈ったりしてくれているから、私も頑張る!」ととても前向きになってくれました。

娘を支え励ましてくれた多くの方にも、感謝してもしきれない気持ちでいっぱいです。

腹痛で入院してから急変するまで、実は娘は小さなSOSを何度も出していました。

痛さに強く滅多に泣かない娘が痛さで泣いたこと、吐き気が治まらず丸2日間ほぼ飲食をしなかったこと、お腹をさすり続けないと寝られなかったこと、冷や汗をかいていたこと、手足の先が冷たくなっていたこと。

私たち夫婦はその様子に気付きながらも、それらが何を意味しているかわかりませんでした。

発症時、7歳の娘が訴えていた「お腹が痛い」は、おそらく今までに経験したことのないお腹の痛さで、もしかすると胸の痛さだったのでしょうが、それを的確に伝えることは難しかったと思います。

子どもが病気になった場合、そばにいる大人が子どもの発する小さなSOSに気付いてあげることが大切だと痛感しました。

入院中はそれどころではありませんでしたが、退院してから娘と話し合う機会が増えました。

「容態が急変してから鎮静から目覚めるまで娘の身にどのようなことが起きた」のか、「なぜ左足に大きな傷があり思うように動かなくなった」のか、「どのように回復していったのか」など、話し合いを通して娘は自らの身に起きたことを自分なりに理解し、今の自分と向き合うことができるようになりました。

また、入院前に比べて新しいことにチャレンジしたり、人前で何かをしたりするようになりました。

入院中に「もう何もできなくなる」と思ったことで、娘なりに考えるところがあったようです。

最後に、最近は体育の授業にも参加できるようになった娘の言葉を記します。

「もう2度と入院はしたくないし注射も大嫌いだけど、こんなにも難しい病気を治してくれて、ありがとうの気持ちでいっぱいだよ」。

 

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