子育て後、自分の夢を実現
アジア日本語学校・教師として


日本語は時として、日本人同士でも誤解が生じてしまうほど
ニュアンスが繊細で複雑。そんな日本語をタイ人に教える小杉令子さん。
日本語教師を志した後、長い期間を経て辿り着いた現場への想いとは。

日本語を勉強するタイ人が増えている昨今。その動機は、「日本の漫画が好きだから」「旅行で日本に興味を持ったから」などさまざまです。小杉さんが勤める「アジア日本語学校」は、主に地方で暮らすタイ人の若者を対象に、彼らが日本で働くための日本語を教えています。生徒数は約300人。半年から1年で日本語を集中的に学び、日本研修に旅立ちます。

「研修は基本的に3年間。そのまま実習を延長する子もいますし、タイに戻って来て日系企業に勤めたり、通訳や母校の教師になる人もいます」。

小杉さんが日本語教師を志したのは、19歳の頃。叔母がシスターであり、幼い頃から外国人が出入りしていたという家庭環境で、母親が簡単な日本語を彼らに教える姿が身近にありました。出身地の京都という土地柄ゆえ海外からの旅行者も多く、友人の外国人にガイドをするうちに「もっとちゃんとした日本語を教えたい」と思うようになったのだそう。

その後は、結婚や妊娠、両親の介護が続き、現場に立ったのは志してから20年後のことでした。「一時期は日々の忙しさに追われ、日本語教師への想いが薄らいでしまった時もありましたが、人生の大変な時はいつも、日本語教師への夢に助けられました」と振り返ります。そんな小杉さんが初めて現場に立ち、留学生やビジネスマンなど日本で暮らす外国人に日本語を教える中で感じたのは、自分の力不足。もっと知識を深めたいと大学院に入学し、“配慮表現”をテーマに研究に没頭しながら、日本語の言い回しや細かい表現の難しさを痛感していきます。

生徒はみんな自分の子ども。
旅立ちの時は毎回、涙します

タイに来たのは、2013年。理由は、生徒たちの気持ちを理解したかったから。「生徒が国外で暮らす中での苦労や胸の内は、私自身に海外経験がなければ心から理解できない。そう感じ、縁があったタイで暮らしてみようと思ったんです」。

知人の紹介で現職を知り、1年だけという約束で家族を説得したはずが……気がつけば5年目に突入。タイでの新生活、授業に奮闘しながら、日本語で日本語を教える直接法で、少しずつ生徒たちを育てて来ました。

小杉さんの仕事は、ただ日本語を教えるだけではありません。日本語を通して、日本の文化や暮らしを一緒に伝えることを意識していると言います。生徒たちは、初めての日本生活。言葉はもちろん、それ以外の暮らしに馴染めるかが大きな課題なのだそう。「私は今タイに住んでいるので、本来なら私がタイに合わせるのが普通です。けれど、生徒はこれから日本で暮らす人たち。タイに合わせるより、私が日本の文化・スタイルを貫いて、それに慣れてほしいと思っています」。

ただ、日本文化を理解するには時間がかかります。理解が及ばないまま日本へ研修に行く子も少なくないと言い、そんな生徒たちからは相談の電話がかかってくるのだそう。小杉さんは、「日本で苦労している時に、本気で叱ってくれる人がいたと少しでも思い出してくれたら」と親心を覗かせます。そんな自身の今後は……まだ結論が出ていないのだとか。
「私には子どもが3人います。全員成人したとはいえ、家族と過ごす時間と引き換えにタイへ来させてもらっています。だからこそ何か残さないと。やらない後悔より、やった後悔の方がいいですから」。

その笑顔は、眩しく輝いていました。


PROFILE
小杉 令子
Reiko Kosugi
1960年、京都生まれ。19歳で日本語教師を志す。その後、3児出産と親の看取りを経て日本語教育の資格取得。08年大学院入学。卒業後、日本で外国人に日本語を指導。2013年、仕事を機に来タイ。リフレッシュ方法は体を動かすこと。タイの好きなところは明るいところ。

 


アジア日本語学校

日本企業に派遣される
タイ人への日本語教育を

創立2002年。300人規模の日本語教育学校。日本語だけではなく、働くことを目的としての礼儀、受け答え、考え方から法律などまで厳しく指導。年間400人以上の実習生を送り出している。

[問い合わせ]
Address: 2 Soi Punnavithee 31, Sukhumvit 101 Rd.
Tel: 02-730-5626
Website:ajl-school.com


編集部より
生徒と向き合いながら、年に4回ほど日本へ帰り、家族との時間を過ごすという小杉さん。インタビューを通して、「人生は長い。早くても遅くても、自分のタイミングでいつでも挑戦できるよ」と教えてもらった気がしました


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