タイの医療水準や設備レベルは高く、最先端の医療技術を受けることができます。

このお話は、バンコクで暮らす日本人家族が経験したサミティベート病院(スクンビット院・シーナカリン院)での入院から手術、回復までを記した医療体験記です。

家族紹介

タイ在住8年目。身体を動かすことが趣味の夫、市場散策好きの妻、お絵描きが大好きな7歳の娘の3人家族。
朝から夜まで海で過ごすほど、家族全員海が大好き。

ただの腹痛だと思っていたら…
タイの医療に救われた!7歳娘の入院体験記
第5話 30%しか動いていなかった心臓

娘の心臓は急変したときは正常の40%、そして最も悪かった5月4日は30%しか動いていなかったそうですが、峠を乗り越えたあと少しずつ回復していきました。
しかし、まだ数日単位でしか先の話ができる状態ではなく、その都度その都度、その時起きている症状に対処しながら治療を続ける必要がありました。

さらにECMOや透析をしていたため、血をサラサラにする薬を投薬していましたが、入れすぎると出血が止まらなくなるため細心の注意が必要でした。
また、身体中についている管や左足の治療部から感染症にかからないようにもしなければなりませんでした。

左足は一旦切断を免れましたが、もし壊死による炎症反応が下がらないようであれば、切断する可能性も残っていたため、炎症反応を下げるために毎日壊死している筋肉を少しずつ摘出するという手術を行いました。

低酸素脳症の疑いもあったため、毎朝鎮静を少し弱めて娘の反応をみることで、脳が機能しているかどうかを確認しました。
人工呼吸器をつけていたため声を出すことはできませんでしたが、呼びかけるとうなずいたり、手を握ってくれたりしました。
その様子から、医師たちに「脳は大丈夫かもしれない」と言ってもらえ安心しました。

毎日医師たちの奮闘を目の当たりにし、心臓だけでなく他の臓器や足を同時に治療する難しさと大変さを知りました。
急変してからの3〜4日は医師たちも終始深刻な表情でしたが、心臓の動きが回復していくにつれ笑みを浮かべる時間も増えました。
心臓の回復とともに、肝臓や腸などの臓器も回復し始め、5月6日からは点滴だけでなく鼻のチューブから栄養を摂ることも少しずつ始めました。

そして、ECMOを装着してから7日目の5月9日、ついにECMOを取り外すことができました。
ECMO装着中は常に血栓の心配などがあったため、取り外すことができてとても安心しました。
そして、離脱後も心臓の動きが安定していたため、その2日後の11日に人工呼吸器も外すことになりました。

 

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