タイに長く住んでいるからこそ、“私たちを受け入れてくれてありがとう”という気持ちを忘れてはいけない。
今回、初めてお会いした櫻井さんはタイに住んで37年という、私たち在タイ日本人にとって大先輩のような存在だ。
待ち合わせ場所はエカマイパワーセンター3階にある「和食 庵寺」。
ソンクラン前で非常に暑い天候の中、少し早めに到着してしまった私とカメラマンに気付いて声をかけてくださり、「暑いから、中へどうぞ」と案内してくれた。
席へ着くなり、櫻井さんは「じゃあ、始めましょうか」とインタビューに応じてくれた。
櫻井勝美さんは和歌山県有田市出身。同県の箕島高校(硬式野球で有名な高校)を卒業し、公務員の道を進むことに。
和歌山県警へ入署し、それから12年ほど警察官として務めることになったのだ。
交番勤務、パトカー乗務員、警務課、刑事課と順調にキャリアを重ねていったある時、櫻井さんに転機が訪れる。
同期の仲間とともに「飲みに行こう」と誘われ、近くの飲み屋へ。
そこで店の従業員として働いていた、のちに妻となるタイ人の女性と出会った。
お互い好感を抱きながら逢っていたが、彼女はVISAが切れていた為タイに帰国する事となった。
上司や同僚達からは交際に反対されていたが、警察を退職してタイへ渡ることに。
この時の退職金は借金と相殺されて無一文状態で、購入したチケットは片道の『インド航空』で所持金はたったの1万円であった。
タイの空港に到着後、無事に再会して結婚。
ここから櫻井さんは第2の人生がスタートしたのだ。
「右も左もわからないタイで、うまく行かないことばかりだった」と話す櫻井さん。
知り合いの仕事の手伝いから始まり、日本人向けの地図(マップ)作成、宅配ビデオ、射撃場や麻雀店等のビジネスを展開しながらトンローのソイ13に『味の里 日本村』を開業運営する事となった。
9年ほど営業してきたが、土地の契約問題で閉業を余儀なくされてしまう。
紆余曲折を経て2009年、エカマイパワーセンターにタイでお世話になった方の出資で『庵寺』をオープンする。
200席ある客席に“とにかく人を呼ばないといけない一心”で、あらゆる手を尽くした。
なかなか軌道に乗らない日々が続くも、破格で提供する「日本産の本マグロ」が大当たり。
以来、同店の看板メニューとして現在も多くの人から支持を集めている。
未曾有のコロナ禍を乗り越え、今や「庵寺」の他、同じエカマイパワーセンター1階にある「チキンケイ」、「ごはん処 庵寺」などの飲食店を切り回す。
従業員数は110人以上、櫻井さんも日々新メニューの開発などに勤しんでいるという。
最後に、櫻井さんはこう話してくれた。
「タイに来てから良い事も有ったけど、辛い事も沢山経験しましたね。起業する楽しさや難しさも嫌というほど味わって来ました。最近もコロナや景気の衰退から売上も芳しく有りませんが、庵寺が有るから今まで家族や自分がタイで生活させて貰える事に感謝しています。また、長年に渡りタイに受け入れて貰っている事にも感謝を忘れてはいけないですね」。




