タイの医療水準や設備レベルは高く、最先端の医療技術を受けることができます。

このお話は、バンコクで暮らす日本人家族が経験したサミティベート病院(スクンビット院・シーナカリン院)での入院から手術、回復までを記した医療体験記です。

家族紹介

タイ在住8年目。身体を動かすことが趣味の夫、市場散策好きの妻、お絵描きが大好きな7歳の娘の3人家族。
朝から夜まで海で過ごすほど、家族全員海が大好き。

ただの腹痛だと思っていたら…
タイの医療に救われた!7歳娘の入院体験記
第4話 早朝の電話

ECMOを装着してから3日目の5月4日は忘れられない1日となりました。
朝7時前に病院から電話があり「今すぐ来てほしい」と言われました。
「どうしてか?」と聞いても電話をくれた看護師からは「BAD(バッド)」としか返事がないので、これは命にかかわる状態かもしれないと思い急いで病院へ向かいました。

家から病院までは30分ほどですが、病院に着く直前に再び電話がかかってきました。
もう駄目だったのかもしれない…とおそるおそる電話にでました。

すると「左足の血流を良くするために、左ふくらはぎの両サイドを切開してもよいか」と聞かれ、命の危機ではなかったことがわかりひと安心しました。

しかし、それもつかの間でした。
PICUに着くと、医師たちが非常に険しい顔をしていました。

医師たちによると、ECMOを右足の付け根から心臓に通しているので、左足に血が巡らなくなる「コンパートメント症候群※」になってしまい、左足が壊死し始めていたそうです。
この壊死による炎症反応の毒素が全身にまわってしまうと、再び命にかかわってくるとのことで、足の切断を選択しなければならないということでした。

ひとまず、左足ふくらはぎの左右を大きく切開し血液の流れを良くする手術を行いました。
足を切断しなくて済んだことにほっとしましたが、早朝の電話や足の切断の話などがあったため、その日は娘の病室の前から離れられずにいました。

バイタルのモニターの最高血圧と最低血圧は20〜40くらい差があるのが普通ですが、娘の血圧はほぼ差がなく、ずっとアラーム音がなり続けていました。

時折、全く差がなくなり平坦になることもありました。「心臓が止まっているのでは?」と医師に尋ねると、心筋の炎症は発症後3日くらいが一番ひどくなり(今日がその3日目)、娘の心臓はポンプの力がとても弱くなっているため血圧が平坦になってしまっていること、しかし「ECMOが娘の心臓のかわりに働いてくれているから大丈夫」だということを答えてくれました。

そう言われても不安定なモニターを見過ぎたせいか、医師たちの深刻な顔を見過ぎたせいか、娘は回復するという気持ちが壊れ、精神的に不安定になり家に戻ることができなくなってしまいました。

夜、PICUの控室で休んでいると、小児科新生児集中治療専門医の南先生がシーナカリン院に来てくれ、「お嬢さんはここまで困難な山を何度も乗り越えてきている」と励ましてくれました。
その励ましから、シーナカリン院に搬送された日に主治医に言われた「今後も困難な道が待ち構えており長く険しい闘いになる」ということを思い出しました。

そして今まさに、その道の途中で娘が必死に頑張っているのだから、私たち夫婦がくよくよしていても仕方ないと気持ちを切り替え、再び娘と一緒に頑張ろうと思えるようになりました。

※「コンパートメント症候群※」 うっ血や出血の影響で筋肉がパンパンに腫れ、血管が押しつぶされて、血液が流れなくなる状態のこと。

 

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