タイと日本の音を繋ぐ
インディーズ音楽レーベル創設


音楽レーベル「dessin the world」を立ち上げ、タイと日本の
インディーズバンドの“草の根的音楽交流”を実行するGinn(ジン)さん。
自ら切り開いた新たな道。そして、その先にあるものとは。

 

伝統民謡でもなく舞踊音楽でもなく、“今の”タイ音楽を知ってほしいと情報を発信するのが、2009年にGinnさんが立ち上げた「dessin the world」です。

「タイのインディーズ音楽って、メロディが大らかだなと思ったら急にシャープになったり、展開がトリッキーで予想がつかないのがおもしろいんです。日本は島国ゆえの独自のメロディがあると思うんですが、タイは陸続きだからこそ、大陸的なゆったりとしたメロディなのかなと感じます」。

在タイ12年。そんなオリジナリティに惹かれ、タイ人とバンドを組み始めたのは10年前。もともと高校時代からバンドを始め、ライブで全国各地を回るなど、仕事と並行して音楽活動を続けてきたGinnさん。日本のインディーズ業界を知っているからこそ、タイのインディーズ音楽の多様性に反応したのでしょう。

さらにここ数年は、日本のレーベル会社経営者、ライブハウス経営者と連携し、タイのインディーズバンドのライブやツアーを日本で企画してきました(もちろん、その逆も同様)。これまでに多くのタイのバンドが日本でCDをリリースし、ツアーを敢行するなど、タイと日本の交流の場を生み出してきました。「タイのバンドの技術の高さとサウンドに、日本の人たちは新鮮な驚きを感じていましたね」と、Ginnさんは手応えを口にします。

数ではなく、“強い”
ファンを増やしていきたい

「レーベルとしての活動が浸透し、問い合わせも増えましたが、紹介するのは自分がいいと感じたバンドだけです。曲やライブビデオ、ウェブサイトなどをチェックして、“オリジナリティがあるか”、“真面目に活動しているか”を見極めます。たとえ人気がなかったとしても、自分がいいと思ったバンドを応援したいんです」。

Ginnさんにとって、バンド活動を含めた音楽活動はすべて、ビジネスではなくライフワーク。だからこそ、どこかで聞いたようなコピーではなく、独自の音を持ち、真摯に活動を続けるバンドを紹介しているのだと、言葉に熱を込めます。

そんな魅力的なバンドに声をかけて生まれたのが、オムニバス音源「a plan named overlap」。Ginnさんのレーベル活動に共感したタイと日本のバンドが参加し、現在第5弾までウェブサイトで無料配信中です。目指すのは、“誰かの”心に響くこと。「僕が紹介するバンド全てを好きになってほしいわけではありません。ただ、僕が提供した情報が、誰かの知るきっかけになればと思っています」。

だからこそ、まずいろんな球(音楽)を投げてみるというGinnさん。投げない限り、当たることもないからと。「聞いてくれた人のうち1%でもタイインディーズに興味を持ってくれたら、あとは自分で調べていくと思うんです。リスナーを繋げる、バンドを繋げる。そうして、タイと日本がさまざまな形で深まっていけばと思います」。

その一方で考えるのは、タイの音楽活動の場について。日本のようにライブのための純粋な場所はほぼなく、レストランやバーに付属されているのが現状なのだそう。「タイにはいいバンドもリスナーもたくさんいるのに、双方が出会う場所が少ないんです。ライブハウスができれば一番いいのですが、それも含めて出会いのきっかけをどんどん作り、音楽の裾野を広げる草の根活動を続けていきたいですね」 ──そう語るGinnさんの目は、タイのインディーズ音楽が“王道”として世界に浸透する日を見据えていました。

ドラマーとして、タイの人気フェスなどにも参加

ドラマーとして、タイの人気フェスなどにも参加


PROFILE
Ginn
東京生まれ。中学からギターを弾き始め、高校からドラマーとしてバンド活動を開始。大学卒業後、IT会社に勤めながら音楽活動を行い、2006年よりタイ移住。2009年、レーベル「dessin the world」を立ち上げる。タイのフェスに日本のバンドを斡旋したり、タイのバンドを日本に紹介したり、日本とタイのインディーズ音楽の懸け橋となるべく、画策する毎日。

 


dessin the world

タイの音楽を日本に。日本の音楽をタイに。

日本とタイのインディーズシーンを支援するためのレーベル。日・タイ音楽交流のための草の根活動実施中。3/4(日)にバンコクでライブ開催。詳細は下記でチェック!
[問い合わせ]
Facebook: dessin the world


編集部より
Ginnさんが20代で渡タイを決めたきっかけは、「40歳、50歳で自分の人生を振り返った時に、ちゃんと挑戦したと思えるかどうか」。その後、音楽をライフワークとしてタイで挑戦を続ける姿に、迷いは一切ありませんでした


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